日々雑感
2010年05月20日
なにやってんだ俺
たとえばNPO団体を立ち上げ、世界のどこかの見知らぬ子供たちのために学校を作る、などということをしている自分。
たとえば地球の裏側の田舎町で、出逢った地元の不良とハングアウトしている自分。
たとえば50間近にして、汗だくになって日々走っている自分。
ちょっとしたことで妻と言い合いになって、怒鳴って落ち込んでいる自分。
あれ、俺、なんでこんなことをしてんだっけ?
そしていつも答えはない。
世界を放浪し、それを写真と文章で伝えることが生業となった今の俺だけど、決してそれを目指してやってきたわけじゃない。その場その場で思いついたこと、やりたいことをしていたらこうなっただけ。だから「どうすればシンさんみたいになれるんですか」などと若い子にきらきらした目で尋ねられ、いつも答えに詰まる。
俺は本当にテキトウな人間だから。
気の向くことしか出来ないロクデナシで、俺の古くからの仲間にはそんなロクデナシ男がごろごろいて。類は友を呼ぶ。そんなロクデナシの中で、俺には社会と折り合いをつける能力が少々備わっていただけだ。
こんなロクデナシとは付き合えないと見切りをつけるやつもいれば、面白がってくれるやつもいる。ひとつだけいえるのは、半世紀近くこうして生きてきてしまった以上、根っこから変わることなど出来ないだろうということ。小学校の通知表から「根気がない」って書かれていたんだから。
ならば、ロクデナシはロクデナシとして、ロクデナシを責任もって全うすればいいんじゃないか。
ヒトリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
そんな者になれるかどうかはわからないけど。
ふう。こんな風に考えてしまうのは
しとしとと降る雨のせいでしょうか。
2010年05月09日
ONE LOVE
初夏を思わせる陽射しの代々木公園で一日過ごした。
ONE LOVE JAMAICA FESTIVAL。いやはやすごい人出でありました。
じつはワタクシ、NPOに申請中の団体「オンザロード」の理事長を務めているわけで。
オンザロードは、世界に子供たちが通う学校を作ることを目的に、作家・自由人の高橋歩とともに作った団体。学校にゲストハウスを併設し、旅人が宿泊した金でその学校を運営しようという「スクール&ロッヂ・プロジェクト」なるものを展開しています。
第一弾は2008年、インド・バラナシ。自腹でやってきた日本人ボランティアのべ80名とともに、数万個のレンガを積み上げて2階建てのビル(?)を建設。一階は学校、二階はゲストハウス。毎日20人ほどの子供たちが学び、ゲストハウスにも大勢の人たちが泊まりに来ています。
そして昨年、ジャマイカ・キングストンで2校目がスタート。こちらは古いビルを借りてリフォームし、フリー・ミュージック・スクールとしてまずはキーボード・クラスをオープンしました。
で、本日。本部テントの一角をお借りして小さなブースを出し、ステージで20分ほど話す時間も戴きました。
キングストンのダウンタウンのゲットーに住む子供たちは、将来這い上がる夢として、ギャングになるか、ミュージシャンになるかという二つの選択肢しかありません。
俺たちにそれを大きく変える力などないけれど、ひとりでも、ふたりでも、楽器を演奏する楽しみを知り、彼ら彼女らの人生がちょっとでも豊かになったとしたら、それは素晴らしいことだと思う。
俺はマザーテレサのように、 自分の人生を貧者の救済にかけるつもりはないけれど、自分が世界を旅して、楽しんで、それが子供たちの笑顔につながれば、きっともっと楽しい。
そんな気持ちで作ったオンザロードのウェブサイトをぜひのぞいてみてくださいな。
http://www.ontheroad.me/
2010年04月30日
のびろ(る?)
のびろ、ご存知ですか。あるいは「のびる」。漢字だと野蒜と書くらしい。
ユリ科の多年草。極ちっちゃなタマネギみたいな、この時期の野草です。
どうやらノビルが正式名称、ウチの田舎ではノビロと呼びます。
たぶん小学校の頃だろうなぁ。俺はこのノビロを採るのが大好きだった。味は辛くてほんのり苦く、子供が好むものじゃないから、食べることよりもっぱら採ることが好きだった。
本日。いまや日課となったランニングを終え、家の横の緑地でクールダウンしながら、咲き乱れる野花を眺めていたとき。アレレ、ひょっとして、と気づいてしまったわけです。のびろ。
ひとたび気が付くと、「ここにも、ほらあそこにも」といたるところノビロだらけ。脇を素手で掘りおこしてみると、白い球根が。うーん、懐かしい! 40年ぶりのご対面といっても大げさではないかもしれませんな。
あわてて家に戻ってハンドシャベル片手に引き返し、わずか15分ほどで大収穫です。
葉はなんとなくネギっぽいから、慣れればすぐに分かります。脇にシャベルを挿し、グイと土を起したら指でほぐし、そーっと引っ張ると、ほら。これがのびろ(る?)。「童心に帰る」ってのは、こーいうことを言うんだろうナ。15分ほどでごらんの収穫。匂いはネギです。
ウィキペディアによれば、辛味がひりひりすることから蒜(ひる)と呼ばれた野蒜は古事記にも登場する。北海道から沖縄の畦道や堤防あたりに自生し、東アジア全域はおろか、北米大陸にも見られ、いずれも食用されているとのこと。
味噌と良く合うので、洗って根っこを落としてナマのままかじったり、味噌汁の具にもいいらしい。てんぷらも美味いと聞くが、どーなんだろう。
田舎のオフクロは刻んで味噌と鰹節で和えてた。炊き立てご飯に最高!
さっそくみそマヨ+七味でいただきました。胃腸を丈夫にし、体を温める効果があるそうです。
たぶん都会のど真ん中でも(たとえば代々木公園とか)でも取れるんじゃなかろうか。GWに野蒜摘みなんて、ロハス?
2010年04月26日
色にあふれた世界
引越しをしたのは昨年の5月末のことだ。
もう一年になろうとしている。恐ろしく早い。
10年以上住んだ古家を取り壊すといわれて、クルマで5分のところに新居を見つけた。川崎市宮前区。18で東京に出てもはや30年が経過したのだが、この川崎市に引っ越した当時は、ちょっと複雑な心境だったことを思い出す。
20代の頃は、とにかく「少しでも都心に近い場所」にいたかった。当時原宿にあった「モンクベリーズ」というディスコ(クラブなどという言葉はまだなかった時代だ)に入り浸っていた俺たちは、ほとんどが代々木公園からシモキタのあたりに住んでいた。
30代になると、あれほど楽しかったディスコ通いから足が遠のき、世田谷へ。そして数年後に川崎に引っ越したのだった。
都会の夜に未練は無かったけれど、多摩川を渡るというのは、「なかばトウキョウ人化」していた地方出身者にとって、都落ちとは言わないが、一抹の寂しさがあった。バイクが品川から川崎ナンバーになるのも、なんとなくサエない気分だった。
でもまんざら悪いことばかりではない。
築30年は優に超える古家の家賃は安く、駐車場と広い庭があり、マンションよりも居心地が良かった。
そこは、高尾山から横浜や多摩川に掛けて広がる「多摩丘陵地帯」の東の外れで、たっぷりと自然が残っていることに気が付いたのは、住み始めてずいぶん経ってからのことだ。
まぁいいか、くらいの気持ちで住み始めたこの家が妙に気に入り、上京以来2年、もしくは4年ごとに引越しを繰り返した俺だったが、結局10年以上住み続けてしまった。その間に結婚し、最後の4年は妻と二人で暮らした。
久々に引っ越した新居は横に大きな森があり、2階の書斎の窓からそれを見渡せる。エジプト2週間の旅から帰宅すると桜が満開で、家にいながら花見気分。そして桜が終わった今、たくさんの野の花がいっせいに咲き乱れている。
誰が植えたわけではない雑草。ただ通り過ぎてしまえば気にも止まらない足元に、ふと気づけば、さまざまな色があふれている。そう、春なのだ。ああ、世界って、美しいな。
2010年04月22日
濡れ羽色
冷たい雨が降っている。
昨日は夏日だったというのに、冬に戻ったような、冷たい雨。
ぼんやりと窓から雨を眺めていると、カラスがやってきて
ベランダの手すりにひらりと舞い降りた。
爪がアルミの手すりをつかむ、カタンッと乾いた音が
しんとした部屋に妙に響いた。
俺はカラスが好きだ。
濡れそぼった体はひときわ黒く輝き、しかしカラスは
雨も寒さも気にする様子などみじんもなく、
威風堂々、胸を張り、我が物顔で寒々しい世界を眺めている。
カラスは不思議な鳥だ。
こんな都会の片隅に、人里離れた森の奥に、
高い山の天辺に。どんなところでも生きている。
誰もいない荒野の真っ只中でも
都会の小洒落たスノッブな店でも
同じように堂々としていること。
これが俺の理想の男像である。
嗚呼カラスよ、お前はまさしくそれだ。
センター街のゴミをあさるお前
我が家のベランダの屋久島の天辺を横切っていったお前
お前
冷たい雨も、風も、灼熱の陽光も気に病むことなく
いかなるときも変わることのない威風堂々。
だから俺はお前に憬れる。
カラスはカァとひと鳴きし
キュイッ、キュイッ、と羽音を立てて
雨降る空に飛び立った。
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